「自分で考えろ」
仕事でもスポーツでも、よく聞く言葉です。
もちろん、自分で考える力は大切です。
しかし、何も与えずに「考えろ」と言うことは、本当に指導なのでしょうか。
例えば、初めて行く山で地図もコンパスも渡されず、
「目的地は自分で探せ」
と言われたらどうでしょう。
多くの人は迷います。
迷った末にたどり着けなかったとしても、それは本人の能力不足なのでしょうか。
私はそうは思いません。
本来の指導とは、地図を渡し、目的地を示し、危険な場所を伝えた上で、
「さて、どうやって行く?」
と考えさせることです。
仕事も同じです。
上司が部下へ仕事を渡す時には、
・何を目指すのか
・いつまでにやるのか
・どこまでの予算なのか
・何を重視して判断するのか
・どんな考え方をすると良いのか
という判断材料を渡す責任があります。
それらを何も伝えず、
「自分で考えろ」
と言うのは、育成ではありません。
ただ仕事を丸投げしているだけです。
そして失敗した時には、
「だから言っただろ」
「考えが足りなかった」
と責任を部下へ押し付ける。
これは指導ではなく、責任放棄です。
スポーツの世界でも同じことがあります。
子どもが一生懸命考え、悩み、勇気を出して指導者へ相談した。
その時に返ってくる言葉が、
「自分で考えろ」
だけだったらどうでしょう。
ヒントもなく、判断基準もなく、考える材料も与えられない。
それは成長を促しているのではなく、突き放しているだけです。
人は何もないところから考えることはできません。
知識、経験、基準、考え方。
それらがあって初めて考えることができます。
優れた指導者やリーダーとは、答えを与える人ではありません。
考えるための材料を与え、判断の軸を示し、最後は本人に決断させる人です。
そして結果がどうであれ、その責任を受け止める覚悟を持つ人です。
今は人手不足の時代です。
人材育成に無駄な遠回りをさせている余裕はありません。
「自分で考えろ」の前に、
「考えるための材料を渡したか」
指導する立場の人ほど、一度立ち止まって考える必要があるのではないでしょうか。







