基本は一人で行動することが多い。
だからこそ、街の空気や現場の変化に気づきやすいのかもしれない。
この日も、ふらっと立ち寄った店で肉を喰らった。
丸鶏の素揚げ、もつ煮込み、馬刺し、味玉のお通し。
特別な店ではない。
でも、ちゃんと美味しくて、ちゃんと人がいて、ちゃんと回っている店だった。


アルバイトの子はベトナム人の留学生だった。
近くに日本語学校があるらしい。
店長は、彼女たちと自然に、楽しそうに会話をしている。
無理も遠慮もなく、ただ「一緒に店を回している仲間」という空気だった。
ふと気づく。
最近泊まったホテルも、スタッフは外国人だった。
コンビニ、飲食店、工場、介護現場。
もう日本は、確実に外国人の力によって支えられている。
それなのに、
この現実にきちんと向き合おうとしない人は多い。
少子化は分かっている。
人口が減ることも知っている。
でも、「じゃあどうするのか」という話になると、
見ないふりをするか、誰かの責任にして終わってしまう。
日本人が子どもを産み、育てる社会にすぐ戻るとは思えない。
理想論を語るより、現実を見るべき段階に来ている。
だったらもう、振り切った方がいい。
外国人に助けてもらう社会を、
「仕方なく受け入れる」のではなく、
「最初から前提として設計する」。
待つのではなく、仕掛ける。
制度が変わるのを待つのではなく、
地域と現場から動かす。
例えば、日本語学校。
藤枝のような地方都市にこそ、意味がある。
日本語を学び、地域で働き、生活する人が増えれば、
駅前の居酒屋も、商店も、街そのものも息を吹き返す。
それは理想論ではない。
すでに、現場では始まっている現実だ。

店で楽しそうに働くベトナム人の女の子たちと、
それを自然に受け入れている店長の姿を見ながら、
「日本の未来は、こういう場所にあるのかもしれない」
そう思った夜だった。











