本来であれば、まだ正月の空気が残る1月3日。
しかし今年は、想定よりも早く仕事始めとなりました。

理由は明確です。
「配慮」「相談」「責任」という、社会で働く上で最低限必要なことが欠けた行動が重なったからです。

本人が面接の時に写真でみせただけの、口でいっていた能力が
実際はなく仕事を渡せなかった。頑張り直せばよいのに
会社を辞めてベトナムに帰ると相談なく決め
さらに、日程を相談なく決めてチケットを取得してから
会社に報告した。その日だと困ると会社が変更をお願いしたら
また、本日に勝手にフライトを決めてしまい。
本日で良いか最終確認なく
飛行機のチケットを変更してしまった。
アパートの退去をする段取りが年末年始なので間に合わず
結果、私が代わりにすることになってしまった。
という状況です。最後の挨拶も無かったな・・・。

「いるよね、こういう自分しか考えない教養がない
自分さえ良ければ良いと考える人」
そう感じる方も多いと思います。
残念ながら、遠い話ではなく、
身近の日本人にもいました。

自分で相談なく勝手に決めるから、
こちらはそれにあわせて行動する
もちろんその人も不利益になる
自分が不利益になったら不満をいいだす
こちらも嫌な感情になる
結局、段取りがわからないのに
全体をみてないのに、自分が正しいと
指摘された事に対して怒り逃げだし
自分しか見えていない状態になる

問題は国籍でも、学歴でも、年齢でもありません。
では、何が足りなかったのか。

それは
• 事前に相談する姿勢
• 自分の行動が周囲に与える影響を想像する力
• できなかったことを認め、向き合う覚悟

この3つです。

技術や知識以前に、
**「人として仕事とどう向き合うか」**が欠けていました。

私は、教育は必要だと考えています。
ただしそれは、
「誰でも変われる」という綺麗事の教育ではありません。

実際、日本人であっても同じです。
日本人だから大丈夫、社会人だから分かっている、
そんな保証はどこにもありません。

それでも現実には、
実習生の管理団体や、他の登録支援機関の多くが
こうした部分の教育を行っていません。

今回も、
なぜ会社が怒ったのか、
なぜ私が指摘したのか、
その理由を本人にきちんと伝えました。

本人は謝罪しました。
私は、変われる可能性を信じたいと思っています。

しかし一方で、
50歳を迎えようとする人が、
同じ問題を何度も繰り返し、
いつも「間に合わない状況」になり、
結果として私が穴埋めをする――

そういう現実も、確かに存在します。

人は、年齢を重ねるほど変わるのが難しくなります。
だからこそ教育は、
「救うため」だけでなく
「線を引くため」にも必要なのです。

そして、
もし私の気持ちや時間、責任が救われないのであれば、
それは善意ではなく、業務です。

業務である以上、
正当な対価をいただくという判断も、
逃げではなく、健全な選択だと考えています。

さあ、今年も始まりました。
現実から目を背けず、
感情に流されず、
必要なことを必要な形で伝える。

本年も、爆進していきます。
※本画像は、「責任を持って前に進む姿勢」「逃げずに向き合う覚悟」を
象徴的に表現したイメージイラストです。
特定の人物や出来事を揶揄・批判する意図はありません