先日、静岡県伊東市の市長が「卒業した」としていた大学が、実は中退?除籍??だったことが発覚しましたよね?
問題はその事実以上に、その後の対応のあり方です。

素直に謝罪し、信頼を取り戻す姿勢を見せれば、まだ違う結果もあったのかもしれません。まして卒業証明書を偽造してみせたいたかもしれない。そんな事実がありながら、
けれど「誤認だった」と言い張り、弁護士を立て、説明責任を果たさない。メディアの発信しか聞いたり見たりしていないので
真相はわかりませんが、
その姿勢が、結果として信頼を失うことにつながりました。

この話を見て、どうしても僕自身の過去の経験が重なります。

ある人が辛い時期に、僕はそばにいました。
ご飯を作り、食材を持って行き、全身をケアして、毎日連絡して
体も心も支えました。
ただの「友達」ではなく、もっと深い意味で大切な存在だと、
僕は思っていたからです。

そして、その関係は個人的なものだけではありませんでした。
仕事の面でも、毎年何百万円分もの案件を紹介し、
継続的に仕事のチャンスを渡していました。
でも、ただ「与えた」だけではありません。

彼女は自分の忙しくて、
その仕事をすぐ対応できないと言ったので、
僕自身が実務の一部を引き受けることになった。
要するに、僕が仕事をあげたにもかかわらず、
実際には僕がそれを半分手伝い、
彼女だけが報酬を得ていたような構造になってしまって
いたのです。でも僕はそれでもよかった。
「ビジネスパートナー」だと思っていたから。

だけど、ある日、あっさりと「ただの友達」と言われました。

お礼も謝罪もなく、ビジネスのお返しもなく
それまでの関係すらなかったかのように扱われた。
誠意を込めた行動の積み重ねが、
一言で片付けられてしまったとき、
自分の存在が一気に否定されたような感覚になりました。

そして、僕はその傷を抱えて、感情的にもなってしまった。
つい周囲に相談してしまい、
結果的に彼女の悪口のような形になったこともありました。
それによって、周りの人たちも僕に共感し、怒り、
彼女との関係性が壊れてしまった部分も、正直あります。

今振り返れば、それは僕の未熟さでもあったし、
その怒りや苦しみをうまく消化できなかった
「弱さ」でもありました。

でも、だからといって、自分を否定したくはありません。

僕は真剣に人と関わろうとしていた。
信頼して、期待して、だからこそ与えていた。
それが報われなかったことは悔しいけれど、
それでも、そこには僕なりの「誠実さ」
があったと思っています。

そして今、改めて思うのです。
たとえ裏切られても、たとえ感謝されなくても、
僕にはやらなくてはいけないことがある。
志がある。
このことで崩れてしまうわけにはいかない。

結びの言葉

人に尽くすことは、美談ではなく、時に傷になる。
でも、だからこそ「誠実であること」に意味があると信じています。

裏切られたから、与えるのをやめるのではない。
報われなかったから、優しさを閉ざすのではない。
一度つまずいたからといって、志を手放す理由にはならない。

僕はこれからも、誠実に人と関わりながら、
自分の信じる道を進んでいきます。
人としての美しさを、少しでもこの世界に残すために。

「誠実さが報われない現実」を知っても、
僕は学びとして受け取り、そして、前へ進みます。

多くの人が“割り切って生きる”ことを選ぶ中で、
割り切らずに、人との絆を大事にしようとする
「成熟した誠実さ」を大切にし続けていきます。