今日、ある飲食店の経営者から連絡がありました。
「外国人を雇えるか」という相談でした。

でも話を進めるうちに、彼はこう言いました。

「最低賃金以下で雇えないなら、外国人を雇う意味がない」
「うちは募集すれば日本人が来るから大丈夫」

正直、心が沈みました。
そして悔しさと悲しさが込み上げました。

この言葉の裏には、
「人は安く使えなければ意味がない」
「外国人は労働力、都合のいい存在でいい」
という無意識の差別がある。
それはもう、“人”ではなく“物以下”として
扱っているということです。

私は特定技能を、「人財」として共に働き、
育て、支え合うための制度だと思っています。
「使い捨て」ではなく、「共に未来を築く」
仕組みのはずです。

ドイツは派遣社員にも正社員と同じ賃金を支払い、
国内の消費を増やしました。
それが日本のGDPを抜き、今や世界3位の
経済大国となった理由のひとつです。

日本は、いまだに「人件費はコスト」
という考え方から抜け出せない。
人を育てる投資ではなく、切り捨てる対象として見る。
その感覚のままでは、経済も、社会も、
人間関係も豊かにはなりません。

そしてもうひとつ、私はこうも感じています。

「和の心」は、誤って解釈されてしまった。
本来の“和”とは、お互いに口を出し合い、
支え合い、高め合うこと。

でも今の日本は、「他人に口出すな」
「自分の好きにやれ」と、
関与しない、馴れ合う、迎合する。
それが“優しさ”だと誤解されている。
私達は、馴れ合いの都合の良い時だけ
あうという絆を構築しているという
壊れた人もいる

私はそうは思いません。
本当に誰かを思うなら、間違いを指摘し、
立ち止まらせ、対話するべきです。
人は、寄り添わないと生きていけない

私は、ただ儲けたいから安く人を使いたいという、
そんな利己的な考え方が“経営者”と
呼ばれる人の中にまだ多く残っていることが、
この国の未来を蝕んでいると思っています。

人を育てること、共に働くこと、分かち合うこと。
それが「経営」であり、「社会」であり、
「人としての誇り」ではないでしょうか。

私はこれからも、人を「人財」として見てくれる企業、
制度の本質を理解しようとする方々と
一緒に歩んでいきたい。
そして、未来を変えていきたい。

🙋‍♂️最後に

もしこの投稿に共感してくださる方がいたら、
どうかこの思いを、次の人へとつないでください。
「これからの世代のために」とか「次の人のために何かを遺す」って、昔の日本人が自然に持っていた志だったのに、
今は“自分だけが逃げ切ればいい”という空気が蔓延している。

年を重ねた人たちが、経験や知恵を若い人たちに“橋渡し”するどころか、
現状維持を守ることに全力を尽くしてしまっている。

自分の資産や身を切ってでも「行動して、責任を持って、次に託そう」としている人がいることを信じたい。
むしろ、それができる人が
本当の意味で“大人”であることの証だと思う。

大人たちが「もう変わりたくない」と言うなら、
その代わりに、私たちが未来を変えればいい。

無理に全員を変えようとせず、
共に登る仲間を一人でも多く見つけて、行動し続けること。
それがいつか、時代の波になります様に、
この思い誰かに届きますように!!