人と関わる中で、「優しさ」と「責任」の線引きはとても難しいものです。
支援や協力を続けているうちに、気づけば自分が抱えすぎてしまうことがあります。
そして、相手がその思いに気づかないまま“当たり前”になってしまうこともあります。
◆ 支援の現場で感じたこと
ある日、生活支援を終えたベトナムの子から「部屋に前の人の荷物があるので捨ててほしい」と頼まれました。
その中には紙ゴミや段ボールまで混ざっていて、僕が持ち帰って処分することになりました。
「僕も君と同じ人間だよ」と伝えたとき、彼女は反省してくれましたが、
その瞬間に感じたのは、“思いやり”の欠如よりも、相手が「相手の立場で考える力」をまだ持てていないという現実でした。
支援というのは、助けること以上に、「考えさせること」なのだと気づかされました。
◆ 仕事の中で見えたすれ違い
仕事を共に進める中でも、同じような経験がありました。
信頼し、支えてきた相手に対して、僕はできる限りのサポートを無料で続けていました。
共に成長していく未来を信じて、業務の多くを引き受け、相手の利益につながるように動いてきました。
けれど、次第にその関係は「支え合い」ではなく「依存」に変わっていきました。
こちらの仕事は後回しにされ、相手は自分の仕事を増やしながら、
その忙しさを理由に感謝や報告を忘れていく。
言葉では感謝を伝えてくれても、行動としての信頼や責任が伴わない。
気づけば、努力が一方通行になっていたのです。
それでも、「きっと伝わる」と信じて続けてしまった。
その優しさが、相手を甘やかし、結果として僕自身を苦しめる形になりました。
僕は今でもその人を嫌いにはなれません。
なぜなら、あの時間の中には確かに“信じたい”という思いがあったから。
ただ、信頼とは、誰かに委ねることではなく、
互いに誠実であり続ける努力の積み重ねだということを、
この経験を通して深く学びました。
◆ 見返りを求めないということ
お客様の紹介をした時も、見返りは求めていませんでした。
「何かお礼をします」と言っていただいたこともありましたが、
結局、何もなかったとしてもそれでいいと思っています。
ただ、こうした経験を通じて強く感じたのは、
「相手に何かをしてもらうこと」ではなく、
“人としての感謝や誠意”がどれだけ行動に表れるかが、
本当の信頼関係をつくるということです。
◆ そして今、思うこと
人は誰かの優しさに甘えるのではなく、
その裏にある「時間」や「想い」、「責任」を感じ取る努力をしなければなりません。
そして与える側もまた、「相手のために」と思うほど、自分を犠牲にしすぎないことが大切です。
優しさが本当の意味で届くためには、
「思いやり」と「節度」の両方が必要です。
信頼関係は、どちらか一方の努力では続きません。
互いに支え合い、感謝し合う関係を築くこと。
それこそが、僕がこれからの仕事と人生で大切にしたいことです。