人は誰しも、成長したいと願います。
けれど、成長には痛みが伴い、痛みを避けようとした瞬間から、
その人の歩みは止まってしまうのかもしれません。
長く人と関わる中で思うのは、
「知識」や「資格」があっても、
それだけでは人として成熟することはできないということ。
真の成長とは、
自分の未熟さや弱さを正直に見つめ、
それを受け入れる覚悟を持つことなのだと思います。
ある人は、努力家でした。
いつも勉強をしていて、仕事も抱え込み、
自分を奮い立たせながら前に進もうとしていた。
でも同時に、忘れていたことがありました。
それは「人の支えの上で自分が成り立っている」ということ。
周りの人がどれだけ時間を割き、想いをかけていたかに気づかないまま、
“忙しい”という言葉でその思いを見過ごしてしまった。
やがて、その関係は静かに壊れていきました。
信頼を積み上げるよりも、
感謝を言葉で済ませてしまった瞬間に。
人は、誰かに支えられている時ほど、
その支えの尊さを見落としやすいものです。
そして、失って初めて「自分がどれほど守られていたか」を知る。
それは、痛みを伴う気づきですが、
そこから本当の成長が始まるのだと思います。
与える側にも学びがあります。
優しさは、時に相手を甘やかすことになる。
支えるほどに、相手の成長を奪ってしまうこともある。
だからこそ、「助けすぎない勇気」もまた、優しさの一つだと今は思います。
成長には限界があるのではなく、
「気づくことをやめた瞬間」に限界が生まれる。
人は誰かを通してしか、自分を知ることはできません。
だからこそ、僕はこれからも人と関わりながら、
痛みを恐れず、気づき合える関係を大切にしていきたい。
彼女はいま、感情の渦の中にいる。
本当は、ただ真摯に向き合って、
謝るべきことには謝り、感謝すべきことには礼を言い、
そして自分の意見をまっすぐ伝えるだけでよかった。
それなのに、言葉を避け、誤解を恐れ、
本来大切にすべきコミュニケーションを軽んじてしまった。
その結果、状況は必要以上に複雑になり、
自分でも整理がつかないほどぐちゃぐちゃになっている。
気づいてほしい。
本当に戦うべき相手は“他人”ではなく、
自分の中にある「弱さ」と「逃げ癖」だということを。
仕事においても、学ぶ姿勢や報連相の不足を
誰かのせいにしてはいけない。
そこに向き合わなければ、どんな知識も努力も報われない。
彼女は、きっと「自分は悪くない」と思っている。
「僕が勝手に決めた」と、そう感じているのかもしれない。
でも、気づいてほしい。
自分がその選択をし、その結果としていまがあるということを。
あの時、彼女が一人あたり15~20万円を得るために、
僕が8割を手伝い、時間もお金も犠牲にしていた。
毎年十数人の案件を頂いてきて彼女にあげていた
ビジネスパートナーとしてやっていくという言葉を信じて
それを清算もせず、お礼や感謝の言葉もなく、
それで「対等」と思えるのはなぜだろう。
「友達だから」「好きだから」「いいでしょ」
そういう気持ちで、見えなくなっているのかもしれない。
僕はただ、あの時どれだけ支えたかを知ってほしいとか、
ありがとうの一言が欲しかったわけじゃない。
でも、自分の行動がどう見えていたか、
そして本当に対等でいられていたのか、
それを一度、冷静に考えてみてほしい。
見守るということは、諦めではなく、
相手が自分で気づき、立ち上がるための余地を残すこと。
だからここからは、
僕はただ静かに見守ります。