『火垂るの墓』の清太の行動について、SNSでは「わがままだったのでは」と批判する声まで出ています。
でも、本当にそうでしょうか。清太はただ、妹の節子と一緒に、普通の幸せを守りたかっただけ。
それさえも許されなかった時代の恐ろしさを、この物語は伝えているのだと思います。
そして今の日本も、別の形で難しい時代になっているように感じます。
「和」という言葉があるのに、他人に声をかけないこと、関わらないことが和だとされてしまっている。
SNSでも、相手を理解するより批判が先に立つことが多い。
でも、本来の日本の良さはそうではなかったはずです。
昔は近所の人が子どもを叱り、誰かが困っていれば自然に助け合っていました。
その小さな声かけや支え合いこそが、本当の「和」だったのではないでしょうか。
清太の姿を通して改めて感じるのは、私たちがもう一度「温かい和」を取り戻すことの大切さです。
お互いに声をかけ、共に良くなっていくことが、これからの日本を進化させる道だと思います。
自分はもういいとか、自分はこういう性格だとか、
決めつけて、日本人はこういう気質だと勘違い、目の前の事だけ見て気づかない振りをして逃げる。そんな心の貧しい卑しい人が増えてしまった。そんな感じではこのまま日本は衰退してしまいます。日本人が変わり行動を始めないと。