日本人でも、ベトナム人でも、信頼や感謝を大切にできない人がいます。
国籍や文化の違いではなく、それは「人としてどう生きているか」の問題です。
日本人の中にも、お世話になった人や迷惑をかけた人と久しぶりに会ったときに、向き合えず逃げてしまう人がいます。
「今さら何を言えば…」「恥ずかしい」「怒られるのが怖い」と、
本当は感謝したい、謝りたい気持ちがあるのに、それを伝えられないまま逃げてしまう。
心の奥には罪悪感があるのに、行動にできない。――それもまた、人間の弱さです。
一方で、ベトナムのある子の話。
僕が生活サポートをしながら支えていたのに、ある日突然何の相談もなく帰国し、結婚。
「もう日本で働きたくない」と会社を辞めたかと思えば、数年後「生活できないからまた日本で働きたい」と連絡してきました。
何事もなかったかのように。
彼の身勝手な行動で、僕は企業からの信頼を失い、他の担当者に変えられてしまいました。
でも、よく誤解されるのですが、僕はその子を採用したわけでも、人材として企業に売り込んだわけでもない。
選んだのは企業で、僕はあくまで生活サポートと文化支援をしていただけです。
それでも、問題が起きたときに責任を問われるのは、僕たち支援機関です。
真面目に、誠実にやってきたからこそ、その悔しさは簡単に言葉にできません。
だから、僕は今回、彼の「仕事を探してほしい」という依頼をお断りしました。
それは怒りではなく、“人として気づいてほしい”という願いからです。
信頼とは、時間と行動で積み上げるもの。
それを一瞬で壊してしまう人に、何度も同じチャンスは渡せません。
文化の違いでも、制度の問題でもない。
本当に大切なのは、“他人の気持ちを想像し、感謝と責任を持てるかどうか”です。
大切なものを見失ったままでは、いくら場所を変えても、同じ結果になります。
僕は、ただ黙ってチャンスを与えるのではなく、伝えることで気づいてほしい。
そう思って、今回は“断る”という選択をしました。