今日、ベトナム人の若者の原付免許切替のために
中部運転免許センターに同行しいます。
他のベトナム人ができたから、自分もできると思ったらしい。
でも、事前相談もせず、準備不足のまま突っ込んだ。
通訳付きの資料があっても読まず、
結局「全部やってくれ」と私に丸投げ。
何とか説明して自分で集めてもらったけど
結局受ける資格が足りなかった・・・。
私は便利屋じゃない。
君が“できるようになるため”に付き添っている。
でも君は、私を無料のサポート係だと勘違いしていた。
そして、これはベトナム人だけの話じゃない。
日本人でも、“信頼してるから”と何度か手伝えば、
それが当然だと思い始めて、当たり前の顔をする人がいる。
交通費も時間も労力もかかる支援を受けながら、
「ありがとう」だけで、終わり。
自分は何十万円も稼いでるのに、
支援して時間や費用がかかっている相手には見返りもない。
それがビジネスとしても、人としても正しいのか?
私はずっと考えてきた。周りの協力者にもそれは
おかしいと言っていたが、信頼を信じていた。
家族や恋人、特別な人との関係なら、
それで許される場面もある。
でも、そうでない関係で“感謝もなく、
対価もなく、労力を使わせ続ける”なら
それは搾取だし、利用だし、
最終的には自分だけ儲けて捨てた
卑怯者になる。
「無意識の搾取者」
自分では気づかずに、人の善意や好意を“当然”として
受け取り続ける人。でも、それは善意ではなく、
相手に負担だけを押しつける“関係の破壊”が
始まってしまう。まぁギリギリまで、うまく搾取しようと
してたのかもしれないが
私は、配慮の無さに傷つく。見返りを求めているわけでないが
悲しくなる。でも立ち止まる訳にはいかないのでやり続ける。
これはベトナム人の若者に対する教育の話であると同時に、
日本人の中にも“気づかぬまま人を使い潰している人”が
いることへの警鐘でもある。
自分はちゃんとできている。そう思っている人ほど、
見えていないことがある。大人や年輩の方にも増えてきた。
ほんの少し、他人の立場で物事を想像してみてほしい。
それだけで世界は違って見えるから。